フェルマーの最終定理

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フェルマーの最終定理を読み終えて、

『成し遂げる人には信念がある』

という、言ってみれば当たり前のようであっても、実行するには当に難しいことが改めて感じられたように思う。


書の中で志村五郎が『良さ(goodness)の哲学を持っている』と語っている。

この『良さ』とは、自分自身の美意識から生まれたものである、全ての数学者は自分自身の美意識に照らして考えているのだ、と。


この『良さの哲学』こそが書に登場する数多くの天才達の共通した意識、ある意味天才が持ち得る無意識なのかもしれない。


フェルマーの最終定理が証明されるまでの360年間にコンピューターが発達し、証明そのものが為されずとも、総当たりの力ずくで証明をしてしまう所謂『シリコンによる証明』も増えてきているようだ。

シリコンによる証明が悪いわけではないだろうし、それを実行するためにも理論が必要であることは理解できる。

しかしながら私個人としては、『良さを実感できるような証明』が今後も数学を発展する基礎を築くものであると信じている。


歴史を作ってきた偉人達の所業を振り返る機会に浴するにつれ、当に世界は美しく作られているのだと考えるからである。


フェルマーの最終定理(了)


フェルマーの最終定理―ピュタゴラスに始まり、ワイルズが証明するまで
フェルマーの最終定理
―ピュタゴラスに始まり、ワイルズが証明するまで

著:サイモン シン


フェルマーの最終定理 (新潮文庫)
フェルマーの最終定理
(新潮文庫)

著:サイモン シン


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フェルマーの最終定理』というでは、その2にて言及した、日人の功績がきちんと描かれている。

谷山・志村予想』と言われる、極めて重大な数学上の予想を提案した、谷山豊(たにやまとよ)、志村五郎の二人の若き数学者の活躍と悲劇が相当の紙面を以て記述されている。
谷山は偉大な数学者となる資質を持ちながら、31歳という若さで命を絶ってしまうが、それもまたフェルマーの最終定理を取り巻くドラマのひとつとなっている。

編では、志村へのインタビューを含め、非常に丁寧にこの二人の業績を記しており、正当な評価を与えているように思える。
勿論、数学の専門家ではない私が『日人の目』から言っていることではあるのだが。

それでも、このを読んで、私は日人として二人の業績を心から誇りに思うし、同じように感じる日本人が多くいると思う。

谷山・志村予想とは、『全ての有利楕円曲線モジュラー形式である』というものである。
モジュラー形式は切り替え、交換、鏡映、回転等の数学的変換を行ったとしても対称であるような極めて高い対称性を持つ。(と、言っても一般人である私には正しく想像ができないが(笑))

フェルマーの最終定理が証明されるまでの流れそのものは、Wikipediaなどでも参照することができ、

1.まず、フェルマー予想が偽である(フェルマー方程式が整数解をもつ)と仮定する。
2.この整数解からは、モジュラー形式でない楕円曲線を作ることができる。
3.谷山・志村予想が正しいならば、モジュラー形式でない楕円曲線は存在しない。
4.矛盾が導かれたので、当初の仮定が誤っていることとなる。
5.したがって、フェルマー予想は真である。

という流れとなる。

この中で、谷山・志村予想とは『全ての楕円曲線モジュラーである』という予想であり、フェルマーの最終定理を証明するためのキーとなる理論であった。
更に、この谷山・志村予想フェルマーの最終定理の証明に留まらず、本来はもっと大きな数学の大発展に寄与する理論である。

この辺りの内容は、私のような一般人が『フェルマーの最終定理というパズルが最初にあって、それを解くために何が為されたのか?』と考えることとは順番が違うため、数学の歴史を変えるほどのインパクトのあるものが関わってくると想像することは不可能だ。

しかしながらこの本ではフェルマーの最終定理を軸に、数学の歴史、時代の趨勢、天才達のドラマ、それらが全て極めて上手く融合されているため、その偉大さを数学的な根拠を理論的に知ることができなくとも“感じる”ことができるようになっている。

これは本当に一流のエンターテインメントに昇華することに成功していると思う。
これはこの本がBBCのドキュメンタリーを元に書き下ろされたということも影響しているのであろう。

さらに、繰り返しになるが、そこに日本人の大活躍が加わるのであるから、面白くないはずがない。

エンターテインメントという意味では、ブームを巻き起こしたダ・ヴィンチ・コードのように、大量の蘊蓄(それもタブーとされていることの)をジェットコースターのような勢いの物語(フィクション)に載せて疾走させるというアプローチとは、全く異なる。


フェルマーの最終定理―ピュタゴラスに始まり、ワイルズが証明するまで
フェルマーの最終定理
ピュタゴラスに始まり、ワイルズが証明するまで
著:サイモン シン


フェルマーの最終定理 (新潮文庫)
フェルマーの最終定理
(新潮文庫)

著:サイモン シン


ダ・ヴィンチ・コード 上・中・下巻 3冊セット
ダ・ヴィンチ・コード
上・中・下巻 3冊セット

著:ダン・ブラウン





サイモン・シンが描いた、フェルマーの最終定理では、数学の歴史を作り出した偉人達の実に人間くさい面も表現されている。

歴史を生きた天才達の人間くさい人生を垣間見ると、『やっぱり天才も人間だよな』と安心してしまうところもある。

歴史に名を残す発見や発明を果たした人物が、その発見や発明に比べれば些細な(と思えるような)事柄で思い悩み、命すらも落としてしまうこともある。

ピュタゴラスが数の美しさへの自らの信念のために弟子を殺してしまうエピソードや、無邪気さと傲慢さと絶世の天才により若くして決闘で命を落とすガロアのエピソードなどは、数学を眠い目を擦りながら机の上で数字を眺めるものだと考えている、多くの人々にとっては非常に興味深い対象になる。
何故なら、遠くの天才を人間として身近に感じることができるからである。
そして、自分たちと歴史上の天才達は何が違うのだろう?と思いを馳せると、わずかな好奇心の差(積み上がることにより大きな差になるが)なのかもしれないとも思う。
エジソンに言わせれば、それに加えて1%の天才が無ければ、どんなに好奇心があっても、どんなに努力しても成功することはないのだろうけれども。

これら人間のドラマを包含し、いやこれらドラマによって組み立てられ、フェルマーの最終定理が証明されていく歴史を描き出している。
(また、歴史上の出来事、革命や戦争によって運命を翻弄された天才達、その裏では才能を開花させることすらできずにこのドラマに加われなかった隠れた天才達もいたに違いない。)


読んだをネタに、つれづれなるままに書いているので、長くなっているのはご容赦を。


フェルマーの最終定理―ピュタゴラスに始まり、ワイルズが証明するまで
フェルマーの最終定理
ピュタゴラスに始まり、ワイルズが証明するまで
著:サイモン シン


フェルマーの最終定理 (新潮文庫)
フェルマーの最終定理
(新潮文庫)

著:サイモン シン





フェルマーの最終定理が解かれるまでには360年の時が掛かった。

つまり、360年分のドラマがあったのだ。

さらに言えば、フェルマーがこの命題

xn + yn = zn
この方程式はnが2より大きい場合には整数解をもたない。


を問うまでには、紀元前六世紀から続く哲学から数学の進歩があったのだ。

ちなみにピエール・ド・フェルマーは1601年に生まれているが、1600年と言えば、ご存じの通り日では関ヶ原の戦いが行われていた年である。

これまでにどれほどのドラマがあったのかは想像するに難くない。

そんな好奇心に後押しされて、私はサイモン・シンフェルマーの最終定理を購入した。

さて、この命題が解かれるまでのドラマの面白さ、驚きは、是非手に取って読んでいただきたいというところなのであるが、それ以上に、素直に『手に取って読んでいただきたい』と言えるところが驚異的だ。

何故なら、相手は『フェルマーの最終定理』なのだから。
360年間、歴史上の大天才が解けなかった問題なのだから。

それを扱った書籍を素直に『読んでいただきたい』と言えてしまう。

これこそがこのの凄さであるとも思う。

つまり、恐ろしく難解であるはずのテーマを万人が理解できるように、その背景を分かり易く、しかし陳腐にならないように丁寧に描ききっているのである。
当然のことながら、フェルマーの最終定理の証明そのものが万人に分かるように書かれているということはないが、専門家でない人間がその“当の意味”を知りながら理解することができるものだと思う。

さらには恐らく欧米ではフェルマーの最終定理の名前と共にはほとんど言及されることのない偉大な日本人数学者達の物語も、きちんと漏らさず、その業績の大きさを正当に評価された上で取り扱われていることが日人に是非読んでいただきたいと思うところでもある。


フェルマーの最終定理―ピュタゴラスに始まり、ワイルズが証明するまで
フェルマーの最終定理
ピュタゴラスに始まり、ワイルズが証明するまで
著:サイモン シン


フェルマーの最終定理 (新潮文庫)
フェルマーの最終定理
(新潮文庫)

著:サイモン シン





1994年に360年の歴史に決着が着けられたフェルマーの最終定理は、『聞いたことはあるがその内容はよく分からない』という人が多いのではないだろうか。

かく言う自分も数学の専門家でもなく、正に『聞いたことはあるがその内容はよく分からない』という状態であったが、300年を超える時代を超えて偉大なる天才達を以てしても解くことが出来なかった問題であるという事実が、ずっと私の心を惹きつけていたように思う。

しかしながら、その道に進んだわけでもない自分ではその当の難解さを知る由もなく、またフェルマーの最終定理そのものも日々の生活を送るうちにそれを思い出すこともほとんどなくなっていた。

そんな時、ふと入った書店で目に付いたのが、

サイモン・シン著 青木薫訳 : フェルマーの最終定理

であった。
邦題の副題は、『ピュタゴラスに始まり、ワイルズが証明するまで』

平積みになっていたわけでもなく、棚の中でわずか一冊、他のに紛れて差し込まれていただった。

フェルマーの最終定理とは、

xn + yn = zn
この方程式はnが2より大きい場合には整数解をもたない。


というものであり、問題は誰にでも理解できるにも関わらず、誰にも解くことができなかった。
そしてこの問いを発した17世紀の稀代のアマチュア数学者ピエール・ド・フェルマーが、その問いと共に

cuius rei demonstrationem mirabilem sane detexi. Hanc marginis exiguitas non caperet.
この命題の当に驚くべき証明を知っているが、余白が狭いのでここには書けない。


と記したことで、まるで宝探しのような好奇心をも掻き立てるものであった。

私はフェルマーの最終定理が解かれたというニュースは知っていたが、その内容については知らなかったし、聞いたところで分からないだろうとも思っていた。

しかし、このを目にした時、忘れていた好奇心が目を覚ましたようだった。


フェルマーの最終定理―ピュタゴラスに始まり、ワイルズが証明するまで
フェルマーの最終定理
ピュタゴラスに始まり、ワイルズが証明するまで
著:サイモン シン


フェルマーの最終定理 (新潮文庫)
フェルマーの最終定理
(新潮文庫)

著:サイモン シン













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